いろいろなウェブサービスのサービス終了の話を見聞きするたびに思うのですが、スマホアプリや楽曲配信・電子書籍専売の本などのようにクライアントサーバモデルの囲い込み型サービスは、更新停止・サービス終了やOSのアップデートでアプリが使えなくなると、そんなサービスは最初から存在しなかったも同然になり、あとで振り返って調査・検証をしようとしても現物がないので、どうにもならなくなってしまうのが残念です。
同じように民俗学も、かつては日常生活なんて記録に残すほどのことではないと思われており、過去の記録・資料が少なくて研究が大変なんだそうです。
個人ホームページや個人ブログの世界でも、すでにそれが起きていて、サービス終了に伴って貴重な記録が大量に消滅しており、今も続くネットカルチャーの起源の多くが辿れなくなっています。
そのため個人の記憶に頼るしかなく、皆が気にもかけていなかったり、すっかり忘れられてしまったことについては何の手がかりもなくなり、どうしようもなくなってしまっています。
文章が下手で遅筆ながらも、私がずっとブログを書き続けている理由は、それらを記録にとどめておきたいという気持ちがあるからなんだろうなと思います。
大したことは書いていませんが。
だから独自ドメインで、レンタルサーバも借りてやってます。ただ私が死んだら、このドメインもサーバスペースもネット上からなくなってしまいます。
でも、Internet ArchiveのWayback Machineには残ってるじゃないか、と言う人もいるかもしれません。
ただ今の時代、Google検索に出てこないものは存在しないも同然です。
だから私が生きていて、なおかつ正常な判断ができる状態でいる限りは、このブログもウェブサイトも続けていくと思います。
これはただの自己満足だと自分で理解しているので、この記録が誰かの役に立つとはけして思いません。
ただ、ひっそりでもいいからどこかの誰かの役に立ってくれればうれしいなという気持ちはあります。
久しぶりに自分を出した文章を書いてしまいました。
普段は外にそういう姿を出さないようにしているのですが、最近なんだかいろいろ弱ってるみたいですね。
しかも今回のブログの内容を客観的にみると、承認欲求をあきらめたように見せかけて、未練たらしく引きずっている人の感情ですね。
私って、厄介な奴だわ。