2016年10月の「東海道の旅 自転車編(京都~静岡)」以来、6年ぶりに旅行に行ってきました。
新型コロナウイルスの感染防止のため、人が多そうな休日・観光地を避けて、岡山県と広島県に行ってきました。
ゴールデンウィークと有給休暇の合わせ技で13連休を取得したのですが、のんびりしていたら、もう連休終了の数日前。
慌てて詳細を固め、高速バスのチケットを購入したのが出発前日という慌ただしさ。
事前の構想はあったとはいえ、ここまで突貫で旅行計画を立てたのは初めてです。
あとで高速バスの車内で中国地方の新型コロナウイルスの感染状況を調べてたところ、広島はステージ4の秒読み段階、岡山もステージ3で飲食店に時短営業の要請が出ている状態でした。
東京・大阪に比べればマシですが、もっと事前の情報収集をする必要があったか…
5/6:Willer Express バスタ新宿→広島バスセンター
今回は、前日の夜にバスタ新宿から高速バスに乗り、13時間かけて広島バスセンターへ向かい、広島を堪能したあと、高速バスで岡山に移動し、宿泊。翌日、30年ほど前に住んでいた場所を巡りつつ岡山観光をし、高速バスで横浜に帰宅するという計画です。
行きの高速バスは、ツアーバス時代は評判が悪かったWiller Expressです。
高速路線バスになってからは、逆にサービスに力を入れているという話なので、興味本位で乗ってみました。
前回の旅と同様に前の方の席でした。
座席は、「リラックス」タイプの車両なので、4列シートで窮屈でしたが、座席のヘッドレストには乳母車のようなフード(カノピー)がついていました。
これを使うとアイマスクがなくても外光を遮ぎることができ、とても便利でした。
この設備は他社も導入してほしいなぁ。
→ 4列シート リラックス 寝顔を隠せるカノピーが特徴的(WILLER TRAVEL)
ただ今回もバスの中では、うつらうつら寝ては、覚めるといった状態で、熟睡はかないませんでした。
カーテンを開けて外を見ることができれば、まだ気がまぎれるのですが、そういうわけにはいきませんよね。
トイレ休憩のたびにサービスエリアに降りて気分転換をしましたが、何度乗っても高速バスには慣れることはないですね。
5/7:閑散とした厳島神社 そして朝食は…
普段はまだ寝てる時間なのに、5時台にはもうすでに目が冴えてしまいました。
今回はRadikoではなく、iPadに事前にダウンロードしておいたテレビ番組や電子書籍を見て暇つぶしをしました。
iPadは荷物になるかと思っていたけど、意外と大活躍でした。
広島バスセンターには定刻に到着。
荷物をコインロッカーに預けて身軽にしたのですが、ここで御朱印帳を持ってくるのを忘れたことに気がつきました。
さらに小物を入れる手提げ袋もコインロッカーに入れてしまい、持ってくるのを忘れてしまいました。
まぁ厳島神社で買えばいいかと気を取り直し、路面電車で宮島の厳島神社へ。
しかし路面電車は停留所がバス停並みの間隔で存在するので、急加速してはすぐ停止だから遅いし、輸送効率も悪そうだなぁ。
宮島口駅からは、フェリーで厳島に渡るのですが、JR西日本 宮島フェリーと宮島松大汽船の2社が運行しています。
今回は、厳島神社の鳥居は修理中のため足場で囲まれて見えないということもあり、宮島松大汽船で渡りました。
――人がほとんどいない。
祝日と休日に挟まれた平日だということもあり、厳島は閑散としていました。
島に渡るフェリーも、島内も、自然にソーシャルディスタンスがとれました。
そして、お土産屋さんも飲食店もほとんど閉まっていました。
もうお昼近いのに… まだ朝食を食べてないのに…
→嚴島神社
午前中は、中途半端な小雨が降ったり降らなかったりで、うっとうしい天気。
しかも神様も、人間とのソーシャルディスタンスをとっているのか、どの寺社を訪ねても神様の気配を感じません。
やはり祝日明けの平日だから、お休みしてるのかな。
小雨がちだったからやめたのですが、厳島神社のご神体である弥山(みせん)に登って、神様に直接会いに行くべきだったか。
厳島神社で御朱印待ちの間におみくじを引いたら、「岩屋隠兆(凶)」が出てしまいました。
岩屋隠れといえば、古事記・日本書紀にも記されている、天照大神が天の岩戸に引きこもってしまったあの神話です。
おみくじの内容は、今は何事もうまくいかないので時が過ぎるのを待て、旅立ちは見合わせるべきというものでした。
今はコロナ禍だから慌てて行動せずに、STAY HOMEしなさいということでしょう。
良さげな飲食店を見つけるまで朝食を我慢していたら、もう昼に。
厳島の対岸の宮島口のすぐそばには競艇場があるので、そこなら何かしらの飲食店があるだろうとあたりをつけて向かいました。
しかし飲食店は有料エリアの中。
厳島でもらった入場券・パンフレットなどを入れる手提げ袋を調達する必要があったため、引き続き飲食店探しを兼ねて、国道2号を歩いてさらに1駅先の大きめなスーパー「フジグランナタリー」へ歩いていくことに。
しかし海沿いの道で田舎なので、周りには何もないのですね…
→フジグランナタリー
昼過ぎになり、スーパーで手提げ袋と広島焼きを購入。
店内にはフードーコートがなかったので、近くの公園のベンチで食べることに。
今日初めての食事です。
侘しいなぁ…
しかしカロリーが足りないと、いろいろおかしな選択肢をとってしまうよなぁ。
ちなみに、このスーパーのすぐそばにあるバス停・路面電車の停留所 広電阿品は、私が好きな番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第4弾 京都~広島(宮島)」で、田川さんたちが最後に乗ったバス停でした。
この旅の出発2日前にも再放送していたんですが、なんだか意図せず聖地巡礼になってしまいました。
→バックナンバー ローカル路線バスの旅 第4弾(テレビ東京)
予定より早く広島市内に戻ってきたので、計画段階では諦めていた広島平和記念公園を散策しました。
原爆ドームや平和の灯、全国から寄せられた折り鶴を目の当たりにし、ここで平和への願いを新たにしたのですが、ふと何かの気配を感じました。
公園外周部を取りまくように、慰霊碑を中心にして意思が薄い霊が漂っているようです。
でも意思の風化が激しいようで、もうすぐ消えそうな感じでした。
戦災者の思いも、時代とともに風化してしまうのか…
夕方になったので広島バスセンターから、都市間高速バス「サンサンライナー」で3時間かけて岡山駅へ。
3時間もかかるなんて遠すぎないか?と思い、あとで広島から岡山までの直線距離を調べたら、137km。
「東海道の旅」なら日本橋から出発して、4日目の興津宿と江尻宿の間(東名高速道路 清水ジャンクションあたり)まで。
3時間かかるのも無理はないか。
→岡山~広島線(サンサンライナー)(両備バス)
→広島⇔岡山 高速乗合バス サンサンライナー(広交観光)
宿泊:ホテルアベストグランデ岡山 キャビンタイプ
初日の宿は、ちょっとかわったところがいいなと思い、岡山駅前の商店街の中にある商業施設「イコットニコット」の6・7階にあるホテルアベストグランデ岡山に泊まりました。
しかも普通の部屋ではなく、キャビンタイプの部屋(素泊まり¥3,600)です。
商業施設のなかにあるなんて珍しいなと思ったら、かつてダイエーが入居していた建物を耐震補強して使用しているようです。
この建物は商業施設であるためフロアが広く、どうしても中央に窓がない部屋ができてしまいます。
しかし窓がない客室は、ホテルの客室として使用することができません※。
そこでカプセルホテルと同様の理屈で、1つの大きな部屋の中にキャビンが複数置いてあるという体裁をとることで、多人数で同じ客室を共用する「簡易宿所」として営業しているそうです。
ちなみにキャビンの広さは1.8×1.8mくらいで、幅1.2mベッドが設置されています。
その他の設備はカプセルホテルに似ていて、パーティクルボードで作られたダイヤル式金庫 兼用の机と、壁掛けテレビだけ。
扉はアコーディオンカーテンで、簡易宿泊所ということもあり鍵はついていません。
窓がない分、アコーディオンカーテンの上部は欄間のようになっていて通気性がよく、またキャビンを真っ暗にしても常夜灯程度の光は入ってきます。
カプセルホテルと同様に音漏れ・騒音には弱いのですが、その区画には私しか泊まっていなかったこともあり、足音や騒音・外光はまったく気になりませんでした。
※ 厚生省生活衛生局「無窓客室に対する旅館業法の取扱いについて(衛指第161号)」平成元年9月20日
→【公式】ホテルアベストグランデ岡山 なごみの湯
食事に関しては、外の飲食店で食べることをお勧めしますが、イコイコットの地下に夜10時までやっている食品スーパー「天満屋ハピーズ」があります。
ただ夜になると客はほとんどいないし、そのまま食べられる弁当・総菜・刺身類はほとんどなくなっています。
なおホテルに置いてあるのは格安家庭用電子レンジなので、電子レンジで温める食品を買うときは気をつけた方がいいかもしれません。
ちなみに私は、外食しようという気力がなかったため、地下の天満屋ハピーズで買った冷凍チャーハンを、2重にしたポリ袋に入れてホテルのレンジで温め、持ち込み飲食用に解放されているホテルの食堂で食べました。
侘しいなぁ…
5/8:岡山平野
翌朝、出発を30分遅らせて9:30頃に宿を出発しました。
この駅前の大通りから路面電車が伸びている光景、懐かしいなぁ。
幼い頃に住んでいた岡山市北区野田までは、岡山駅から徒歩でも30分圏内です。
バスはさっき出たばっかりのようで、次のバスまで1時間待ちなので、歩いてゆくことにしました。
かつて住んでいた場所を目指し、幹線道路を歩きました。
岡山駅から半径1kmくらいはビルやオフィスが多かったのですが、そこから先に進むと住宅と中小企業が混在するエリアになります。
このあたりは岡山平野の真ん中というとこもあり、見渡す限り平地が続いています。
岡山平野は、縄文時代には吉備の穴海と呼ばれる内海であり、その後中国山地の土が堆積してできた広大な平野です。
かつては一面の水田で、1980年代から急速に都市化が進み、その名残で整備された川や用水路・幹線道路が、縦横に伸びています。
当時、夏はカエルの鳴き声でうるさくて仕方がなかった水田が、現在はすべて埋め立てられ、会社やマンション・駐車場に変わっていました。
しかも、なぜか3・4階建てぐらいの低いマンション・ビルばかり。
普通の一戸建てや農家の家は、あまり多くない様子でした。
特に幹線道路沿いでは、一戸建てはほとんど見かけません。
普通、こういうところには一戸建てがたくさんあるんだけど…
土地の成り立ちからして、もうちちょっと水田が残っていてもよさそうなんだけどなあ。
人も店も分散しすぎていて、バス路線も運行本数少ないので、車がないと生活するには不便そう。
その割に地方都市にありがちな、水田1つ分、もしくは半分を使った無駄に広い駐車場はあまり見かけません。
また生活道路はかつての農道の道筋をとっていますが、大型トラックが楽にすれ違える道幅になっています。
郊外って、普通は一戸建て・農地・耕作放棄地・アパート・マンション・砂利敷きの駐車場・雑木林などがまじりあってたり、行き止まりの道がよくあったりするものなのですが…
岡山平野は、他の地域と全然違う都市開発がなされており、興味深いです。
岡山市北区野田に到着
かつて住んでいた野田に到着し、周囲を散策しました。
昔よく行っていた個人商店やスーパーは、すでになくなっていました。
別のミニスーパーが近所にできていましたが、本格的な買い物をするには車で遠出する必要がありそうですね。
野田公園の横にある野田八幡宮も建て替えられ、木々に取り囲まれて暗い雰囲気だった境内は、明るく開放的になっていました。
野田八幡宮を参拝したところ、八幡様が驚いたような顔をし、そしてすぐににこやかになったような雰囲気をなんとなく感じました。
ここに住んでいたのは30年以上前のことなのに、神様は私のことを忘れずにいてくれたのか…
ありがたいことです。
野田八幡宮の近くには西日本放送 岡山本社があり、夏には局の駐車場で盆踊り大会が行われていたのを思い出しました。
しかし、なんでこんな場所に放送局があるんだろう?
いろいろ巡っているうちに、昔の嫌な思い出がよみがえってきたので、このあたりで切り上げることに。
本当はこのあたりの飲食店で昼食をとるのも、今回の旅の目的の一つだったのですが、まだ昼食をとるには早い時刻ですし、昼食時にわざわざここまで戻ってくるのも面倒なので、あきらめて次へ。
詳しくは後述しますが、レンタル自転車でここまでくればよかったかもなぁ。
思い出のユニクロへ
そういえば、まだ全国展開前のユニクロの店舗が、生協の近くの大野辻のあたりにあったなと思い出したので、足を延ばして行ってみました。
もうなくなってるかもしれない…と思いつつも行ってみると、大野辻のずっと先に何世代か前の建物様式のユニクロを発見。
当時の記憶をたどると、店内は四角い倉庫風で、天井がとても高かった記憶があります。
またゆったりとした店内で、奥の丸い大きなテーブルにはリーバイスのジーンズが並んでいました。
過剰在庫品や輸入衣料品を仕入れて販売していたからなのか、時期によって品揃えや数はバラバラで、安定供給は期待できませんでしたが、丈夫でお買い得な服が多かったような気がします。
店内に入ってみると普通のユニクロになっていましたが、確かにここは私の記憶の中にあったユニクロで、おそらく間違いありません。
ただ場所は大野辻の手前だったように思うのですが、たぶん記憶違いかな。
大安寺駅へ向かう道中
予定よりもかなり時間が余っているので、車で移動するような距離なのですが、徒歩でJR吉備線の大安寺駅に向かうことにしました。
途中に岡山ドームや北長瀬駅があったのですが、こんな施設・駅あったっけ?と思って調べたところ、ここは国鉄岡山操車場跡地で、岡山ドームは2003年に完成、北長瀬駅2005年に開業した新駅とのこと。
また、その北側には新幹線の車両基地(博多総合車両所 岡山支所)がありました。
自転車で行ける圏内に、面白そうな場所があるとは知りませんでした。
当時は、子供は学区外に出て遊んではいけないという同級生・地域の圧力が強すぎて、ひとりで遠出することができませんでした。
誰かに見つかろうものなら告げ口され、同級生やその兄弟からも非難の集中砲火を浴び、窮屈な思いをしていました。
幼稚園~小学生低学年だったからとはいえ、みんな視野が狭かったんだな。
桃太郎ゆかりの吉備津彦神社・吉備津神社へ
ダラダラと歩いていも時間が全然余っていたので、予定より1時間以上早く吉備津彦神社・吉備津神社へ。
両方とも桃太郎で有名な神社ですが、ここにはかつて家族でよく行きました。
吉備津神社の廻廊(渡り廊下)を、兄弟でよく走り回っていたのを覚えています。
音が鳴る鬼の窯も、ちょっと怖かった記憶があります。
ただ吉備津彦神社のほうは…… あまり覚えていません。
しかし吉備津彦神社・吉備津神社も、約30年ぶりの来訪を歓迎してくれる雰囲気を感じ、ちょっと嬉しかったです。
野田八幡宮といい、吉備津彦神社・吉備津神社といい、ご縁を忘れないでいてくれたんですね。
エネルギアのデータセンターを発見
JR吉備線はローカル線ということもあり、移動時間に余裕を見ていたのですが、2時間ほど巻いてしまいました。
こんなことならレンタル自転車で移動すべきだったかもなと、少し後悔。
岡山駅から吉備津神社までは約7kmですし、自転車なら寄り道も簡単ですし。
そんな後悔もありつつ、当初の計画であきらめた池田動物園へ。
ちなみに後楽園に行くという選択肢もありましたが、退屈だった記憶しかないのでやめました。
今行けば、また違う感想をいだくのでしょうけれども、メジャーどころなので人が多そうという理由もあって、回避することに。
備前三門駅から池田動物園に向かって歩いている途中で、怪しい建物を発見。
地図を見るとエネルギア・コミュニケーションズ 岡山支店となっています。
しかしNTT局舎のような地下燃料タンクが備えられていたり、柵に棘がついていたり、監視カメラが複数設置されていたり、侵入者感知センサーが設置されていたり、金属製のドアに不活性ガス消火設備の標識・表示灯があったり、光ファイバーがたくさん引き込まれていたり。
この特徴からすると、ここはデータセンターで間違いはなさそう。
とどめに外周道路にある電力会社の金属製のボックスを見ると、「計算センター」と書かれています。
あぁ、やっぱり!
「エネルギア・コミュニケーション 岡山データセンター」って、もしかしてここ?
それとも、すぐそばにはトマト銀行三門支店があるので、トマト銀行の勘定系システムを擁する計算機センターなのかな?
幼稚園の遠足で行った池田動物園へ
そんなこんなでGoogleマップに頼りながら池田動物園へ。
池田動物園は、岡山藩主の孫の池田隆政さんと、昭和天皇の第四皇女 池田厚子夫妻により設立されたのだそうです。
岡山県内最大とのことですが、小さな牧場があった場所とその裏の山を利用して作られた小さい動物園です。
小さい子供向けの動物園のようで、食堂で昼食を食べようとしたところ、子供向けの接客をされて苦笑い。
幼稚園の遠足に行ったときの思い出に残っていた、軽便鉄道で使われていた古い機関車・客車も残っていました。
ただ保存状態は、非常に良くないです。
園内には、ボランティアの募集や、老朽化トイレの改修のための寄付をつのる張り紙があちこちに貼ってあり、お金がないのがひしひし伝わってきました。
そんなわけで園内のバリアフリーもできていないし、ケージも狭いし。
ただ、なるべく子供が楽しめるように、動きがあって見栄えがする小さい動物が展示の中心になっているようです。
メダカやコウモリ・カミツキガメ、また家畜のヤギ・ジャージー牛・アイガモなどもいて、これはこれで面白かったです。
ただ収益源となるリピーターの確保や、恋人のデートコースとしての利用は…… 難しそうですね。
ペットホテル・動物病院が園内とつながっているせいで、預けられている犬の檻が動物園の動物の一部みたいになっていて面白かったです。
これ、意図的にやっているのかも?
しかし犬は人になついているし、よく動くので見ていて飽きませんね。
池田動物園にはお客さんと目を合わせてくれる動物が多いこともあり、閉園までの2時間を充分堪能できました。
徒歩で岡山駅へ
依然として時間が余っているので、岡山駅まで1.7kmということもあり歩いてゆくことに。
動物園の周りは一戸建てやアパートが多い住宅地ですが、動物園に通じる道には、動物園の案内看板が一切見当たりません。
周りは住宅地なのであまり大々的にしないでほしいという要望があったからなのか、それとも電柱広告看板を出す費用すら出せないのか…
池田動物園でのんびりしたり、歩いて岡山駅まで戻ってきたのに、帰りの高速バスが出るまで、まだ2時間もあります。
そこで、すこし離れたところにあるイオンモール岡山に行って、非常食の買い出しと、夕食をとることに。
ちなみにこの非常食は、事故渋滞などで高速バスの中で缶詰状態になったときに、空腹を紛らわすためのものです。
岡山に行ったら、対岸の香川県の名物である讃岐うどんを、県外出店してる讃岐うどん屋で食べようと思っていたのに、県外にまで展開している讃岐うどん店を見かけなかったので、結局イオンモールのフードコートで倉敷のご当地メシ「ぶっかけうどん」を食べることに。
味もコシも、普通でした。
なんか、ガッカリ。
杉崎高速バスで帰宅の途に
お土産物は、岡山駅の駅ビルの中にある土産物屋のほうが品ぞろえがいいだろうと思ったのですが、コロナ禍だからなのか種類は少なかったです。
結局、鉄板のきび団子を購入しました。
荷物になるからお土産を初日に買うのは避けてたのだけれど、広島でもみじ饅頭を買っておけばよかったかな。
帰りは杉崎高速バスの3列シートの車両に乗り、自宅のある横浜に向かいました。
やはり、3列シートは座席がゆったりしていて、いいですね。
ただ、岡山→横浜・東京便を予約したはずなのですが、岡山到着時に乗客が乗っており、なおかつ大阪でも停車して乗客を乗せていました。
コロナ禍で乗客が少ないので、鳥取便・大阪便と統合運行してたのかな?
相変わらず、車内ではあまり寝られませんでした。
ふと思いついて姿勢保持のために持ってきたタオルを、アイマスクの代用として鉢巻のように巻き付けたのですが、これが意外と便利でした。
肌触りもいいし、密着してるのにゴムのような圧迫感はないし、ちょっとだけ外の様子を覗きたいときにはタオルをずらすだけなので、お手軽でした。
途中休憩では、SAのスタンプを収集したり。
定刻より、やや早く横浜に到着し、予定より1本前の電車に乗って帰宅しました。
翌日は丸一日、休養日にあてましたが、高速バスでは熟睡できないので、疲労感は残りますね。
感想
初日は、人出を避けた日程すぎて人が居なかったり、食事をとれなかったりと散々でした。
ただ広島平和記念公園を散策できたのはよかったです。
でも当初の予定に入っていれば、もっとちゃんと廻れたのになぁ。
2日目は、目的地・移動手段をかなり緩く設定した行き当たりばったりで無駄ばっかりの旅、自称「無駄旅」になっていい感じでした。
でもコロナ禍でなければ、自粛せずにもっと自由できままな旅ができたんだけどなぁ。
今回は、突貫による旅行計画の立案が一番のあだになったのかも。
突貫だからゆるく計画を立てたら、どこにも締まりがなかったという感じです。
また旅行中にお守りとしても使っている、いつもの御朱印帳がないせいで、いろいろおかしかったのだとも思っています。
次回への課題としては、旅行計画は綿密に立てる(旅程をタイトめに設定し、現地での判断で省くぐらいがちょうどいい)、気力や判断能力が落ちる夜行バス移動はやめる、食事はきちんととる、食事場所の下調べはちゃんとやる、御朱印帳を忘れないということですね。