長くなったので記事を改めました。で、続き。
- 絵本をよんでみる(五味太郎・小野明/平凡社)
五味太郎さんが43歳(現在60歳)のときの著書です。
絵本の作者の時代背景・お国柄などを一切考えず、曲解しているので支離滅裂な解釈になってます。
でも子供は、時代背景・お国柄は全然知らないわけだから、そういう解釈でもいいのかも。
学校の図書館に、紹介されていた絵本が何冊かあったので、ついでにその絵本と同時に読んでみました。
まず、教科書にも載っている「おてがみ」(「ふたりはともだち」アーノルド・ロベルト 著/三木卓 訳/文化出版局 に収録)については、学校では友達を思う気持ちは大切であると説明していました。
しかし五味さんの解釈は、がまくんとかえるくんの友情を「湿ってる葉っぱの中で湿ってる友情」と例えていて、思わず手をたたいて笑ってしまいました。
これって「ちびまる子ちゃん」の永沢くんと藤木君の友情関係と同じじゃないか!

また、長新太さんの作品について「長新太はいきなりやってくる」という表現をしています。
長新太 作品って、ガン!と強く印象に残るんですよね。
「いきなりやってくる」という形容がぴったり。
「キャベツくん」(長新太/文研出版)では「ブキャ!」というたびに走っている、という指摘に驚きました。
たしかに背景が動いてますね。
この指摘のおかげで、絵本の新たな魅力を発見してしまいました。
絵本には、絵の役割、文の役割があって、必ずしも両方が連動するわけではないし、絵と文で違うことを語っていることもある、ということに気づきました。
うーん、絵本って奥が深い。絵本って簡単に描けるもんじゃないんだなぁ。
他には、1回「ブキャ!」と叫ぶごとに何メートル走っている、という不毛なトークも繰り広げられています。
うさこちゃんシリーズ(ブルーナ)では、「うさこちゃんとうみ」(ディック・ブルーナ/石井桃子 訳/福音館)については、
絵本全体から寂しさが感じられる。
それはお母さんが何らかの事情で、うさこちゃんと一緒に生活できないのではないか。
で、うさこちゃんと2人っきりで間が持たなくなったお父さんは、海でも行こうかと言ったのではないか、
と考察してます。
他にも、お父さんに気を使ってお世辞を言ってるとか、とんでもない解釈がじゃんじゃん飛び出してきます。
笑えます。
絵本って、こんな邪道な楽しみ方もできるのか。
いいかも。
- 陰陽師(夢枕獏/文言春秋)
ドラマ化&映画化もされたアレです。…といっても、私は見てませんが。
読まず嫌いだったのですが、意外にいけました。
歴史小説風の文体なんですが、巻を追うごとにどんどん読みやすくなっていきます。
内容のほうは、源博雅が、安倍晴明の家に遊びに来るところから始まる、ショートショート作品です。
- 薄紅天女(荻原規子/徳間書店)
勾玉三部作の最終巻。内容は古代日本を舞台にしたファンタジーです。
やっと荻原作品を全て読了しました。
※以下はあらすじのメモです。不備や抜けが多いので、あらかじめご了承ください。
もっとマシなあらすじがお望みならば、こちらのサイトへ。
→ http://www.phoenix-c.or.jp/~taitian/magatama/hyousi.html
長岡京の時代、阿高 は、同い年の叔父藤太 と一緒に東の坂東の地にすんでいた。
ある日、蝦夷がやってきて、阿高が火の女神チキサニ(ましろ)の生まれ変わりであることを告げる。
そして阿高は、自分が何者かを知るため蝦夷に向かう。
一方坂東では、都の陰陽師博士で少将の坂上田村麻呂が、もののけから都を救うために、勾玉を持った少女(実は阿高のこと)を探しに来た。
藤太は阿高がさらわれたと思い、坂上田村麻呂と友人の広梨・茂里とともに阿高を追いかける。
で、途中蝦夷にさらわれたり、仲間とはぐれたり、逆に都を救うためには男の阿高が来ては困るということになったりと色々ある。
その一方、都ではもののけ等の災いが蔓延し、兄安殿皇子 と父(帝)にもそれが降りかかってきた。
その災いから逃れるため、帝の娘苑上 と、その弟賀美野 が疎開することになった。
そこで苑上は男装の衛門佐 藤原仲成(帝の片腕の故 造営の殿 の娘薬子 )と出会い、賀美野と入れ替わる(以降、苑上は鈴鹿丸と名乗る)ことに。
実は都の災いは、皇の兄弟殺しの呪いであり、その災いをおわめるには、蝦夷にあるという勾玉の力を使わなければいけないと判る。
で、阿高がちびクロ(子供の狼犬)と同化したり、苑上と阿高が出会ったり、(以下略)